2004年、乳がんから始まって、2008年には腸、副腎、脊髄に転移、2013年全身癌と宣告されても、元気で仕事もこなしている樹木希林さん、生活の質は元気な時と全く変わらないという。その元気の源は何処にあるのか、そこをひも解いてみよう。
2004年6月に自分で触診して、乳がんだろうなあと直感する。すぐには病院に行かないで9月になってやっと病院で検査を受ける。乳がんと宣告される。仕事の都合で翌年の1月になって乳房の全摘手術を受ける。
樹木希林さんの講演記録を読ませてもらった。多くの女性が切ないほど、医者を信じて、かわいそうなほど言われたことを守っていく、このパターンとは全く違った、独創的な行動をとるタイプである事が想像できた。
おそらく乳がんと直感してから、手術するまでの間、自分なりに本を読んだり、インターネットで調べたり、どのように癌と向き合うかを模索していたのだと思う。
しかし、多くの人が行う、手術という選択を取る。片方の乳房を全摘手術するという選択をした。術後、女性ホルモンを飲むように言われるが拒否、医者や家族からヤイヤイ言われて、やっと少しだけ飲むことにする。
少しだけ、1か月飲んで身体の調子を慎重にみていると、これは飲んではいけないものと、身体が訴えていることを直感する。樹木さんの偉い所は、ここで女性ホルモンをきっぱりと、断ち切っている。
その後、2008年には、腸、副腎、脊椎に転移が見つかる。やがて全身癌と宣告される。この時点において、樹木さんの取った行動が現在の、生活の質を低下させないで、仕事をしながら元気に生活できる状態を作り上げた原点となっていると想像する。
樹木さんは、抗癌剤治療、手術、などは一切受けないことにする。九州の病院USAオンコロジーセンターで四次元ピンポイント放射線治療を受ける。担当医の植松稔先生は「抗癌剤治療のウソ」という本を書いた人である。
真面目で化学的な見地から、抗癌剤のウソを説明している本で、専門用語やデーターを示した表が、ズラズラと出てくる面白くない本だ。
ただその内容から本人の癌と向き会う姿勢、医療業界の大勢に流されない自分なりの意見、良いと思う事のみを患者さんの側に立って、実行していく姿勢が読み取れる。
樹木さんは講演で、「1年半たったから久しぶりに九州へ行って、放射線治療を受けてこようと思っている。」と言っている。この言動から、放射線といっても、頻繁に受けている訳ではなく、かなり年数を置いて受けているのではないかと思われる。
このことから推察するに、抗癌剤治療は絶対に受けない、女性ホルモンは少し飲んですぐ辞めている、放射線治療のみ、少ない回数で続けている。ここに樹木希林さんの生活の質を落とさずに元気で仕事もできる鍵がある。
ただ、本人も講演で言っているように、こうやって元気にしていても、何時どうなるか分からない、というようなことを言っている。これは本当の意味で、本人の中では安定しない体調を感じる事があるのではないだろうか。
放射線を信じるのは良いが、ここまで来たら、化学療法はすべてやめる事が、本当の安定した老後を送れると思う。いかに少ししか受けない放射線であっても、やはり体に負担は掛る。
全身癌であっても自分の自然治癒力を信じて、食生活、運動、笑いのある生活、安定した生活環境、充分な睡眠、など自分の中の免疫を活性化する生活こそが、本当の健康を取り戻せる秘訣だと思う。