末期がんから生還した高遠さん

 28歳の時、体の不調で、病院に行き初めての診察でいきなり癌の宣告を受ける。卵巣がん「スキルス性」でステージ4、胃にも転移して腹水が溜まっていた。

余命はおそらく、半年でしょうと言われる。

 

 病院で手術を受ける。まず、腹水を3キロ抜いて癒着している右卵巣、卵管、左卵巣の3分の2、子宮の一部のがん組織、胃の4分の1、鼠径リンパ腺を取り除いた。

 

 それから月の内、2週間は抗がん剤治療、放射線治療で入院を伴う病気休暇。残りの2週間を勤務に充てることで退職することなく治療をスタートした。

 

 その後、腎臓、脊髄、乳房にも癌が転移する。いろいろな先端治療を繰り返しいつしか3年近く経っていた。31歳の時、脊髄に転移したがんの痛みから、ついに立ち上がることが出来なくなり、車いす生活になる。

 

 ボロボロになった体で、次の検査があった。次は肺にがんが転移していることは薄々感じていた。もしこの検査で癌が肺に転移していたら、すべての抗がん剤治療は止めよう、緩和ケアも辞めて好きに過ごそう、と心に決める。

 

 そして検査、宣告の日、(肺にスキルス性の腺がんが見つかりました。進行が速いタイプですので、今の体力からいけば3か月くらいが目安です。)覚悟はできていたので、意外とスッキリしていた。

 

 自分は癌との戦いに負けたのだ。私は「3か月間、もう治療は一切しません。息絶えることは自然に還ること。そのまま癌の疼痛と共に過ごしてゆきます。最後にフランスに絵を見に行きたいのですが」

 

 担当医は唖然とした。「今の状態では、感染症にかかったら、そのまま肺炎がもとで亡くなってしまうかもしれませんよ。それでいいのですね」それが担当医と交わした最後の言葉となった。

 

 あと3か月の命、フランスに行って「モネの庭」が見たい。旅行会社に無理に頼み込んでフランスに行った。最悪の身体で、むくみ、微熱、癌の痛み、から咳が止まらない。

大好きなモネの庭を見てこれでいつ死んでも良い。そんな時、から咳が止まらなくなった。喉の乾燥もひどく感じる。市場で売っていたトマトをかじってみた。

 

 ほ!ほ!なんだか舌の裏から水分が上がってくる。うわー どんどん上がってくる、甘さも感じる。涙がぽろぽろ出てきた。トマトという食材と体。

 

 食材が身体を作り上げていることを感じた彼女は、それから料理教室に通うことにした。食について学ぶうちに、いつしか4年が過ぎた。車いすから杖、今では自力で歩けるようになっている。

 

 その後、中医学の薬膳料理学校に入り、1年間勉強して、免許を取得している。現在はテレビ、ラジオで料理講習会を開いて人気の講師となっている。

 

 末期がんから生還した人の経歴を見ると、最後は3大化学療法を一切捨て、独自の代替え医療を編み出して、成功している人が多い。

 

 癌を敵とみなして、戦争をするのではなく、癌も自分の細胞の一部であると考え、共同生活ができる体内環境を整えることが、体の中の平和につながると思います。

 

 平和の中にこそ、細胞の中でも安定した生活が送れるのです。3代化学療法で戦争するよりも、平和のほうがはるかに、長生きができます